人生の塩となるもの

クローバーと五芒星

「レタスクラブ」読んで1週間引きずった人間の独り言。

 

  レタスクラブの発売から1週間が経とうとしているが、未だに何回も読み直している。(これを書き終えるころにはとっくに1週間以上経ってると思うが…)

 

  テキストは、読んでて特別驚く内容というよりは「やっぱりそうだよなぁ」って、ここ数ヶ月勝手に想像して心配してたことに対する答え合わせをしているようなそんな感じだった。

 

・怖いものは怖い

  小山くんが感じてたであろう「怖さ」の欠片を私も体験したことがある。だから、まだ社会人にもなっていない人間でましてや芸能人でもないからその重みはもちろん違うけれど、その感覚はわかるような気がする。

 

  私は自分の甘さが原因で周りに多大な迷惑をかけた経験がある。詳しく言うと長くなるから飛ばしてもらって構わないが… 

  私は吹奏楽をしていたのだが、コンクールの曲の中でどうしても吹けないところがあった。死ぬ気で練習しても吹けるようにならなかったのではなく、どうにかなるだろうっていう気持ちとこんなの吹けるわけないっていう諦めが心のどっかにあった。(私の吹いてた楽器の特性上そこを吹くにはかなりギリギリの譜面だったのは本当です…。) そうは言っても自分に甘かったことは事実で、ある合奏でそこを吹くよう言われたにもかかわらず吹けなかった。そしてそれに呆れた先生は合奏をやめてしまった。その日は外部からレッスンの先生を呼んで合奏してもらっている日だった。  わたしはそんな貴重な時間を奪ってしまった。

 

  私が当事者でなければ、そうなってしまった人のことをきっと責めないと思う。だけど、いざ当事者になってみるとやってしまったことの重大さと責任に押しつぶされそうだった。こういうことを起こしてしまった自分をみんなはどう思っているのかと考えると怖くて怖くてたまらなかった。申し訳なさや後ろめたさもあって、みんなとどんな風に接したらいいかわからなかったし、いつも通りにしたら「怒られたこともう忘れたのか」って思われるんじゃないかとか色々考えてしまう部分があって…

 

 

  こうやって書いてみると、小山くんの言葉に重なる部分たくさんあるな。小山くんの「怖さ」が理解できるからこそ、読んでて人ごととは思えなかったし、それを責めることなんて絶対にできない。

「自分がそう言われるようなことをしたんだから怖いなんて言うな」ってそんな理不尽なことはないと思う。

 

  要するに、どんなに自分が悪くてもどんなに自分が原因でも怖いものは怖い。

 

そして、その怖さは当事者にならないときっとわからない。

 

 

・怖さから救ってくれるもの

  そんな自分を救ってくれたのはまぎれもなく部活の同級生たちだった。廊下で涙が止まらない私を優しく励ましてくれた友達、「災難だったね」ってわざと茶化して話しかけてくれた友達、いつも通り接してくれたパートの同級生、そんな人たちのおかげで私は立ち直ることができた。

 

  だから小山くんにもそんな存在が、シゲちゃん、まっすー、手越くんがいてくれてよかったなって。ファンのみんなのおかげって言ってくれるけれど、そのステージに立つまでに3人をはじめ周りの人が支えてくれたと思うから。

 

 

・チョコレートの板のボコボコ

  あれから少し時間が経ったとはいえ、まだまだ何を言っても何をやっても悪く言う人はいるもので… 何もアクションを起こさないという選択肢もあったと思うけれど、それでも素直な気持ちを綴ってくれた。彼の「自分の気持ちに誠実である」姿は紙一重で、それが彼の良さでもあり悪く捉えられる部分でもあると思う。もちろん、応援している立場としてはそうやって正直な気持ちを伝えてくれることは嬉しいし、彼のその姿勢がNEWSとファンの距離を近づけていることは確かだ。だけど、いわゆるアイドルの美学みたいなものを求めている人からすればそんな裏側の気持ちは知らなくていいって思うだろう。アンチからすれば叩く絶好のチャンスだろう。

 

 

  きっとそういう反応があることはわかっているだろうし、傷ついたこともたくさんあると思う。

  それでも彼は「自分の気持ちに誠実」でいることを選んでくれた。つまり自分が傷つくことよりもファンである私たちにその素直な気持ちや「声届いてたよ!」って事実を伝えることを選んでくれた。

 

  ちゃんとファンには、少なくとも私には、「チョコレートの優しさ」として伝わってる。

 

 

•「弱さ」という強さ

  ここまでも同じようなことを書いてきたが、小山くんは「弱さ」をさらけ出せる強さを持つ人。

 

  私は今回のことについて、彼があのとき思っていたことを知る術もないし、これからも深く触れないままでやっていくと思っていた。それは、言い方は悪いけれども今回のことは彼にとって「汚点」になるだろうものだから。きっと触れられたくないだろうし言葉にするのも嫌なんじゃないかなって。

 

  

  それでもこういう風に言葉にして私たちに伝えてくれたのは他でもない彼の「弱さ」であり「強さ」だ。「弱さ」を見せない強さを持った人ももちろんすごいと思う。一方で「弱さ」を見せるのも勇気がいる。

 

  

  そしてこれが彼なりの向き合い方なのだと思う。言葉にすることは自分と向き合わないと出来ないことだから、そうやって気持ちを整理してるのだと思う。

 

 

最後に、この数ヶ月で小山くんのことが前よりずっと好きになった。あの一件以来、心配でライブでもテレビでも彼に注目して見ることが増えたというのもあるが、彼のいい部分にたくさん気づけた。特に歌は(前が下手だったと言いたいわけではないが)本当に上手くなったと感じる。音程がどうこうとかそういうんじゃなくて、歌に感情が詰まっていて上手く自分のものにしてるなって。他人が気づくほど成果を出すには自分で感じるよりずっと努力が必要だと思う。言葉だけではなくきちんと結果を出す。

 

 

そんな慶ちゃんが大好きだ。