人生の塩となるもの

クローバーと五芒星

飛ぶことを忘れたカナリヤが空を舞う

 

お久しぶりです。

先日、2人が新型コロナウイルスに感染したという知らせを聞いてから、ずっと心配でなんとなく気分が上がらない日々を過ごしています。

元気でいてくれさえすれば、ライブはいつでもやれるから今はゆっくりしてほしいなと思います。

 

 

 

さて、新曲のMVが3日連続でYouTubeにて公開されましたが、どれも素敵でこのタイミングで見るとグッとくるものばかりですね。

 

その中から「カナリヤ」についてライナーノーツなんてたいそうなものじゃないけれど、感想や思ったこと考えたことをまとめておこうと思います。

 

それではどうぞ。

 

 

「カナリヤ」

 

初めて披露されたのは24時間テレビ

まだまだ3人での露出が少ないころで、彼らの「再出発」とこの歌詞が非常にリンクしてしまう部分があったが、今聴くとさらに彼らを思い浮かべずにはいられない。

 

君が言った 幸せってすぐそこにあるようで

あると思うたび 見つからないような

それでいいと言い切れる強さが

僕にあったらこんな風になってないのかな

 

1番でも2番でも歌われているこの歌詞。

この一年、NEWSとファンにとってこんなことの繰り返しだったように思う。

コロナ禍で思うように活動ができず、グループの形も変わってしまった。それでも彼ら3人は活動の歩みを止めず、webやラジオで私たちに小さな幸せを発信し続けてくれた。

そしてやっとライブができると思ったのに、今度は新型コロナウイルス感染でライブ中止。

言っておくが、今年一年の諸所の出来事全て含め、本人たちに責任があるとは全く思っていない。

だからこそ、なぜこのタイミングだったのだろうと思ってしまう。

今まで当たり前に見えていた幸せが何回も目の前で消えていく現実を目の当たりにして行き場のない気持ちに襲われる。

 

でも、その気持ちを抱えて何度でも立ち上がるのがNEWSというグループなのだろう。

 

少し感情移入しすぎてしまったので、本筋に戻るとする。

 

 

 

ある雑誌で小山さんが「自分たちから投げかけて歌っていたつもりが、最後の「大丈夫と歌っている」で自分たちの状況に重なってゾクっとする」というような内容を述べていた。

非常に鋭い指摘だと思う。

 

そこまではずっと曲中の主人公視点(一人称)なのに最後の最後だけ三人称に変わっている。一人称で「歌っている」という表現はあまり普段しない。「歌っている」姿を誰かが見ているというほうがしっくりくる。

イメージとしてはアングルがパッと切り替わって歌っているNEWSもしくはカナリヤが映される感じ。

 

そもそもいわゆる私たちが知っている「カナリヤ」とは愛玩鳥の一種である。野生種もいるが、人に飼われるために品種改良されている。

つまり、彼らの多くは一生を鳥かごの中で人に愛でられながら過ごすことになる。さらに言えば、飛ぶ必要もない。

 

このことを踏まえると、

飛び方忘れ 羽をたたんで

こころの鳥は空を見上げる

息をひそめ 何を待つ?

 

また別れを知って それでも明日へ

理想を掲げ、傷を背負っていく

もう一度飛ぶ、夢を見て

ここで言う「こころの鳥」とはまさに「カナリヤ」のことであろう。

飛ぶ必要がなかった、もしくは飛ぶことを恐れた「こころの鳥」は飛び方を忘れてしまい、ただただもう一度はばたく日を夢見るばかり。

 

しかし、「こころの鳥」はこのままでは終わらない。

 

また別れを知って それでも明日へ

理想を掲げ、傷を背負っていく

もう一度飛ぶ!

 

 

飛ぶことを夢見るのではない。もう一度飛ぶのだ。

 

 

そしてこの曲のラスト、飛ぶことができた「こころの鳥」は「大丈夫と歌っている」。

 

 

一番の歌詞「大丈夫と泣いている」の「大丈夫」は大丈夫ではない状態の自分に言い聞かせるようなニュアンスだが、最後の「大丈夫と歌っている」の「大丈夫」はそこを乗り越えた「こころの鳥」が今度は相手を励ましてるように感じる。

 

 

NEWSという鳥は今まさに飛び立とうとしている。

3人の門出に相応しい力強い応援ソングだ。