人生の塩となるもの

クローバーと五芒星

虹をくぐって交点の先から、今。

 

2021年1月1日 0時0分 

嵐が止んだ。

去りゆく嵐の背後には虹が掛かっていた。

 

 

 

 

あの日から1年がたった。

 

 

1年前(休止直前)、私はその先がどうなるのか、どんな気持ちになるのか今もまだわからないと書いていた。

 

嵐のいない1年を過ごしてみて、

誤解を恐れずに敢えて言うならば私の生活に嵐がいなくても大丈夫だった。

 

 

でもそれは決して平気だったわけじゃなくて、そういう日常に慣れたと言うほうが正しいかもしれない。

 

1月1日以降、やっぱり5人揃った姿を見るのがつらいって思うことも多くて、年末の番組は未だにほとんど見直してない。

 

だから、意図的に嵐から離れる生活を送っているうちにそういう状況に慣れてしまったんだと思う。

 

 

加えてグループの活動がない今、嵐に対する熱量やモチベーションを保てなかったことも事実。

 

「グループ活動ありきの個人(自担)」が私のアイドルを応援するスタンスだから、

いくら自担がテレビに出ていたとしても今までと同じ熱量で個々の活動を追いかけることは正直難しかった。

 

 

一時期はもうこのままファンであるという感覚すら忘れてしまうのかなと思うほど、活動を追えていない時期もあった。

 

そんなときに公開されたのが『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』だった。

 

 

久しぶりに嵐のエンタメを存分に浴びて、最高に楽しくて、見終わった後も頭の中は嵐でいっぱいで。

 

「あぁそうだ…。これ。こんな感じだった。」

 

 

自然とそういう感情や感覚が戻ってきたことが嬉しかった。

 

 

同時にこれが私なりの嵐との向き合い方であり答えなのかなと思えた。

 

 

嵐への熱量が戻ってきたとはいえ、これからもそれを維持できるかと言われたらたぶん難しい。

 

やっぱり嵐5人の活動が原点だし、そもそも私自身が気分屋なところもあるから。

 

 

でも1年前と違うことは、熱量が下がって少し離れている期間も嵐が好きだという火種が消えたわけじゃないと分かってること。

 

 

嵐の5人が「嵐」を大切に宝箱にしまったように、私も嵐に対する感情や熱量、思い出を自分の中の宝箱にいれておくことにする。

 

捨てるわけじゃない。鍵さえあればいつでも開けられるから。

 

 

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